私の聴覚障害について

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母親いわく、私が幼児の頃、急に呼びかけに反応しなかったことから病院を受診したところ中度の聴覚障害と診断されたようです。

両親も兄も姉も。健聴者。

原因は不明。感音性難聴。

3歳で身体障害者手帳6級。

右が70デジベル↑、左は80デジベルぐらいだったような。右の方が良かった。

ちなみに聴覚障害は新生児の難聴が500人に一人と確率が高めです。

日本医療研究開発機構発表概要も見てみてください。

難聴と分かって補聴器を付けるようになり、聾学校に通い始めました。

聾学校の先生と母親の教え、家族の協力のおかげで1年半少しで口話を取得し、家の近くの幼稚園に転園。

健聴者だけの世界に飛び込びました。

でもそんなこと、子供の自分からしたら単なる学校が変わったとしか思わんのやろうけど。

そこからは健聴者しかいない幼稚園、小学校、中学校、高校、専門学校に通い卒業しました。

社会人になって、急に耳鳴りが始まり、聴力が落ちました。

等級も6級→4級に。

周りの声も以前より聞き取れず、病院を受診しても原因が分からず不味い飲み薬を処方されるだけ。

これ本当に本当に不味い。苦しくなる。数ヶ月飲み続けても効果なくて。

つらくてもう辞めた。

なので、今現在も耳鳴りは続いて、かれこれ10年以上の耳鳴りとお付き合いしております。

耳鳴りは相手の話を被せてくるので聞こえにくく厄介です。

何回も聞き直すわけにもいかないし。

分かったフリをすることが増えました。

そして現在は両耳100デジベル以上の2級。

まぁ〜色々ありました。

やがて妊娠もして、長女のときも次女のときも願い事が叶うことで有名な京都の鈴虫寺で願ったのは

【五体満足で産まれますように。健康な子供が産まれますように】

そりゃぁ遺伝しないか心配しないわけがない。

神様とか信じてないけど、神頼みするしかないんです。

そして三女。

もうこれが最後の出産だろうと迎えた日。

産まれたときの新生児スクリーニング検査ではパス。問題なしでした。

よかった~~!!と安堵したのも束の間。

1歳→言葉がパパ、ママくらい。

育休終えて保育園に預けてました。

2歳頃→ちょうだい、おいしい、とか簡単な一語文。二語文はまだまだ。言葉も少ないなぁと思いつつ、長女も言葉が出てくるのが遅かったためあまり心配せず。

でもある日、市の保健センターから旦那に電話。

1歳検診のときに言葉が少ないことを覚えてくれ(うちが難聴てことも知ってるので)、現状確認の電話が旦那にあり、言葉はまだ少ないかも知れないことを伝えると一度、耳鼻科で聴力検査を。と勧められました。

その時は私も働いていたこともあり、保育園の先生にも『保健師さんからこう言われたけど、コミュニケーションはどうか?』と相談しても

こっちの話すことも伝わってるし、他にも言葉が遅い子はいるからそんなに心配してるところはないけどねぇと言われ、家でもコミュニケーションは問題なく取れているのであまり気に留めてなかったんです。

半年後、ようやく病院に予約して検査しました。

結果、軽中度の感音性難聴でした。

はぁあぁああああああ。

そっかぁ〜〜

そっかーーー

そうかーーー

うち自身が難聴やから受け入れるのに時間はかからなかった。

遺伝が大きいんやろうで申し訳ない、とも思う反面、同じ立場として力になれることあるし、きっと大丈夫!そう思うしかありませんでした。

健聴者でも急に中耳炎とかストレス、耳鳴りが原因で難聴になることだってあります。

明日は我が身です。気をつけてださい。

私と三女はそれが早かっただけ。そんな風に思ってます^^

三女については下記の記事をご覧ください。

今回はこの辺で終わります。

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